昭和54年12月15日 前夜祭 二代
一年間にだいたい大きな御大祭といわれるのが、年に4回ございますが、この報徳祭に対しましては親先生が特に力を入れられる、思いを込められる御大祭であります。言うならば九州の大恩人である、四神貫之の神様、合楽の大恩人である3代金光様の報恩のお祭りだと言われております。夏のあの祈願祭が言うならばそれこそ、願って願って願い抜くお祭りとするならば、明日の報徳のお祭りは、私は今日そのことをしきりに思わして頂いたんですが。
もう御礼を申し上げ御礼を申し上げるお祭りだと思わせて頂きます。いわゆる本当にあなた様のおかげで今日の合楽があります。あなたのおかげで今日の〇〇家がありますと言う御礼のお祭りだと思わせて頂くわけです。その恩に報いるのが明日のお祭りだと言う事になる訳ですが、さてその恩に報いるために、なら何もおかげを頂い取らんのに、さぁ恩に報いなさいとか御礼を申しなさいと言うたって、申し上げられず口だけでは出来ても実感としてその事が出来ない。
本当におかげを頂いておると言う実感が、明日のお祭りの形になり、明日の式典になると言う事になってこなくてはいけない分けです。そのためにもいよいよ本当にわが身の上におかげを受ける、と言う事が大先決だと思います。御教えの中にもあります様に、神の大恩を知ればと仰る、いよいよ神の大恩を知る実感の出来れる、お祭りにしたいものだと思わせて頂くわけです。
特に私は最近思わして頂くのは,最近の合楽を見ておりますと、言うならば教祖様は仰ってる、自分は低い所から高い所に水を流すような苦労をして来たという、仰っておる。ところが今の合楽をじっと見てみますと、高い所から低いところに水が流れるような動き方をしておるんですね。親先生が金光教の中に入って道を広めると言う事を仰ったと一緒に、同時位にもう本当に何の力みもなく金光教の中に、合楽の教えが、合楽の親先生がどんどん入っておる。
言うならば親先生の信心が高められるに連れて、こちらは低いところに水が自然にこう流れていく様な感じを受ける訳です、それを見ます時にあれやこれを思います時に、今まではいうならば大坪家がままになるために、いうならば合楽教会がままになるために、働いて下さっておるになぁと言う実感をするんです。だからこれからはこれからが本当に神様がままになって下さるための。
御用に立つと言うならば神様がままになって下さるための、精進をすると言うならば。これからが本当な精進だなぁと言う事を、実感いたしております。まぁ明日の報徳祭を前、前日に致しましてお互いあれを思うて下さい、これを思うて下さい、そして本当にあのうおかげを頂いて親先生のおかげを頂いて、今日の私がある〇〇家があると言う事を一つ明日のお祭りの形として、あのしていきたいものだと思わせて頂きます。
有り難うございました。